調和道・丹田呼吸法 |瞑想|健康 【図解】
調和道丹田呼吸法とは?
調和道丹田呼吸法(ちょうわどうたんでんこきゅうほう)は藤田霊斎(1868年-1957年)によって創始された呼吸法。
体の自然治癒力を高め病気を克服する、心の安定化・活性化をもたらす、スポーツ・武道・芸道などの上達を促すなどの効果があるとされる。
調和道丹田呼吸法は横隔膜を鍛えることを重視する。横隔膜の鍛錬が上記のような効果に繋がるという。また上半身はリラックスし、下半身はどっしりした状態の上虚下実(じょうきょかじつ)を理想とする。
三呼一吸法:
フッ、フッ、フーッと3回連続して息を吐く(息を全て吐き出す)、吸うときは自然に空気が入ってくるように一息で行う。
波浪息:
みぞおちに手を当て、その箇所は固定したままで、吸うときは上体をやや後ろにそらし、吐くときは前傾するようにしてゆく。(ウィキペディアより)
実践丹田呼吸 |小波浪息(しょうはろうそく)
調和道丹田呼吸の基本である小波浪息をサンプルに説明します。
効果
固くなっている上腹部がゆるんできます。それだけで、全身の血流が促進され、自律神経が活性化し、精神的にも落ち着きがでてさわやかな気分になります。
座り方
立った姿勢でもかまいませんが、坐ったほうが落ち着いてできると思います。日本式の正坐、あるいは坐禅のように結珈趺坐は呼吸法に適した坐り方です。
足を折って坐るのが苦手な人は、椅子に坐ってもOKです。
いずれにしても腰が後ろに引けた、腰砕けの姿勢ではいけません。いわゆるる立腰、腰を立てることが大事です。そしてなるべく肩に力が入らないようにしましょう。
基本姿勢~上虚下実(じょきょかじつ)~
正しい呼吸は姿勢が大切、『上虚下実』が基本になります
緩息(かんそく)
『緩息』は呼吸をリラックスして行う為の準備呼吸です。
これは全身の力を抜いてのびのびさせるためのもので、軽い深呼吸といったものです。
吸気と呼気を三回行い、次の行う呼吸法に備える。
緩息して上腹部をゆるめ、上体をやや前傾(二十度くらい)させておきます。
肩や胸のあたりが楽にゆるむようにします。大きなボールを胸に抱え込み、肩甲骨が開いて背中の力を抜いた状態です。
このときおへそのニセンチくらい上のところに、一本の線ができるようにします。(下の図参照)。この線を屈折線として前傾するのです。この屈折線は、ミラクルラインとでも言いたいくらい、重要な線なのです。仏像には、上腹部がゆるんでいることを表現した線があります。
手の構え
右手の指をそろえて上腹部に当てます。小指と薬指の先端がおへその上、ニセンチくらいのところ(屈折線)に当たるようにします。左手の手のひらを下腹部、すなわち丹田に軽く当てておきます。
吸気
緩息で上体をゆるめた状態から、胸を張りながら息を吸います。ちぢんでいた上腹部も伸びます。時間は約三秒くらいです。
呼気
上腹部の、薬指もしくは小指の先端が触れているあたりを境に上体を前傾させつつ息を吐きます。五秒くらいです。
なお、吸気も呼気も、口を使わず鼻から行ないます。これは、これから紹介するすべての呼吸法に共通する原則です。
回数
とくに回数にこだわることはありませんが、一セット十二回くらいが適当です。
その場合六回行なったら、左右の手を入れ替えることにします。そして、一セット終わっ
たら再び緩息をして、一セットが終了です。
注意点
波浪息は上腹部をゆるめること(「柔凹にする」といいます)が目的ですから、長く吐いたり、たくさん曲げようとする必要はありません。要するにみぞおちが、おへそと接近するようにすることが大切です。それと、呼気に心を込めて丁寧に行なうことです。呼気に心を込めることだけでも、呼吸法の目的の多くが達成されるのです。
藤田霊斎師はこのときの注意点として、「吸気のことは考えないで、息を吐きだしながら上体を折り曲げて、みぞおちの下を柔軟にすることだけを念頭に置くこと」と述べています。
藤田霊斎は息むこと、上腹部が硬く出っ張った(硬凸)状態になることを戒めています。写真の仏像のような上腹部が緩んでいる腹が理想。しかし、日本は戦後の教育の一貫として取り入れられたスポーツは筋肉トレーニングが主眼です。手、足の筋肉をトレーニングする前に呼吸するための筋肉のトレーニングするのが先決ではないか?何故なら呼吸のトレーニングをせずに手足のトレーニングを実施しても酸素不足で苦しく、トレーニングがいやになる、呼吸のトレーニングを先にしたほうが合理的です。
動画 小波浪息~調和道 丹田呼吸法
動画 三呼一吸法 調和道丹田呼吸法
参考資料:
藤田霊斎師は1968年に新潟県長岡市に生まれる。
12歳に時に真言宗智山派の僧侶となる。
18歳の時に船岡芳勝(学者ともしても優れ宗派内での高い地位にある)を師匠になる。
24歳で郷里に帰り、師跡を董督。当時抱えていた問題解決などのはたらきに貢献する。
27歳で智山派の中の高い或る地位につき、支配権を握るようになってから得意満面意気揚々、名誉と利欲の餓鬼となり、その後は精神上の破産者となる。
29歳の時に白隠禅師の著した『夜船閑話』を放浪の旅に出る。
39歳の時に修業を終えて東京は早稲田に『精神学会』 という看板を掲げ、翌年に仮道場を開設。
大正6年に馬込にて修行を行い、心身調和と宇宙との調和を得て、哲学的背景を含めて名称を『調和道』と名付けました。
slideshare ダウンロード資料(PDF)
パワーポイントで作成した資料です。
参考文献:
『藤田霊斎 丹田呼吸法』~向上し続ける人生の構築~ 作者:鈴木 光弥
丹田呼吸法の実際―「調和道」による身心健康法 佐藤 道平 (著)
万病を癒す丹田呼吸法 単行本 村木 弘昌 (著)
こちらのサイトも参考、願いします。
関連サイト:仏陀の呼吸道
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