スピアフィッシング
スピアフィッシング(英語:spearfishing)とは、素潜りで銛や水中銃を用いて魚類を捕らえる水中スポーツの1つである。スピアとは英語で魚突きのための銛を意味する。
歴史
古代から人は岸、船から銛を持って魚突きをしており、古代の壁画にもその様子が描かれている。
その後、海に潜って銛で突き多くの魚を得る手段を確保していったと推測される。
1430年紀元前の古代エジプト・テーベで壁に描かれた銛で魚を突いている壁画。
参考サイト: Wikipedia スピアフィッシング
グアムでのスピア フィッシング
「スピア」とは槍という意味。その名の通り、槍を使って魚を獲ることをスピアフィッシングと言います。太平洋に浮かぶ小さな島グアムでは太古の昔から魚を食料として生活を営んできましたが、その際スピアが使われていました。当時のスピアは持ち手が木製、魚を突く歯の部分が骨で作られ、それを片手に持って浅瀬で魚を獲っていたといわれています。
このスピアは持ち手が木製、魚を突く歯の部分がブルーマーリン(クロカジキ)の上顎の骨で作られています。
堅くて丈夫で鋭くて、一突きで魚を仕留められそうです。
チャモロ人のフィッシング技術が優れていたことは、15世紀にグアムを訪れたスペイン人によって書き残されています。1602年にマリアナ諸島を訪れたスペイン人宣教師ジョン・ポブレ・デ・ザモラ氏は、チャモロ人のことを「世界最高のフィッシャーマン」と絶賛したと伝えられています。
「世界最高のフィッシャーマン」の血を引き継ぎ
スピアフィッシングを趣味とするチャモロの男性は今も沢山います。
15世紀以降にヨーロッパの文化がグアムに入って来ると、それまでグアムには存在しなかった金属製のスピアが登場します。後にはマスクやゴーグル、フィン、さらにタンクなどが加わり、スピアフィッシングの技術は格段に進歩。スタイルも変化していきます。
しかし、現在も人々が好むのはスピアを片手に素潜りで海に入る、従来のフリーダイブスタイル。そして獲った魚は家族で分け合い、みんなで料理します。神からの自然の恵みを家族が食する分だけ獲り分け合って食べる、そんな精神も古代から受け継がれているのです。
参考サイト:グアム政府観光局
日本のスピアフィッシング
1050年代、日本に駐留していたアメリカ軍より日本にアクアラングが持込まれ、一部の人たちが始めた。
その後1950年後半頃から日本でレジャーでのダイビングが始まりました。
当時はアクアラングと呼ばれ、目的はスピアフィッシング(魚をモリで突いて獲る)でした。
その頃は海中生物を見て楽しむという発想はありません。
もちろんフィッシュウォッチングと言う言葉もありませんでした。
ウミンチュの歴史
日本全国、そして世界を股にかけて漁を続け、世界の漁業に影響を与えたと言われるイトマンウミンチュですが、イトマンウミンチュの漁のルーツは「潜り」といえると思います。
水中眼鏡は糸満漁夫が発明したと言われています。それまでの潜水漁師たちは、水面に油を撒いて、静かになった水面から水中を見て見当をつけて潜ったといいます。
水中眼鏡の発明で、糸満漁民は飛躍的な漁法の発展を遂げました。沖縄本島の「イトマン」たちは、明治のころから全国各地、そして世界中に拡がっていきます。遠くはオーストラリアやアフリカまでも遠征したそうです。有名な、「廻高網」「アギヤー」と呼ばれる漁法です。大型の網を水中に設置して、多人数の潜水夫で魚群を追い込んで魚をとる漁法です。数回の操業で、そのあたり一帯の魚を根こそぎにしてしまうほどの威力を持った漁法でした。
現在は宮古の伊良部島・佐良浜に一グループ残っているだけですが、当時は各地に「イトマン小屋」と呼ばれる仮の掘っ立て小屋を作り、そこを拠点に住み着いて漁を続けました。いわば海のジプシーのような暮らしです。住み着いた土地では、地元の有力者と話をつけ、ウミガネーを払って操業しました。しかし、日焼けして顔は真っ黒、髪は真っ赤、顔つきも彫りが深くて土地の人とは全然違う余所者の彼らが、「アギヤー」漁法で、地元の漁民たちには信じられないほどの漁獲を揚げるのです。はじめはウミガネーを貰って快く操業を許可した地元の漁師たちも、その水揚げを見ればやっかむのは当然で、リンチされたり、追い出されたり、水産業者に騙されたり、様々なトラブルがあったようです。事件の記録は各地に残っているようです。現在でも日本各地に糸満漁民たちの子孫は住み着いているそうです。そのころ石垣島にやってきた糸満漁夫の子孫がいまの石垣のウミンチュで、「シカイトマン」(石垣四ヶ字に住むウミンチュの意味)と呼ばれています。石垣でも昔はかなり虐げられたそうです。
情熱大陸 海人三郎 動画
参考サイト:ウミンチュの歴史
伝説の素潜り 赤間憲生氏 動画
本州から南へ287km、瓢箪の様な形の八丈島、伝説の素潜り漁師、赤間憲生さん(64歳)。1973年に福井県で行われた全日本素潜り漁大会で優勝、翌年にはオーストラリアで行われた太平洋素潜り漁選手権でも活躍。黒潮の影響で潮が複雑で早く、水中カメラマンも流れる中、4mの手銛を持って海面から魚を探し、水深20mまで一気に一直線に素潜り。流されないよう岩の合間を這うように進み、魚に逃げられないよう息は吐かず、体を傷つけて値段を下げないよう、アカハタなど狙った頭を一突き。60cmのアオブダイにまだ満足せず、潜って3分じっくり狙って銛を刺して残し一旦水面へ、呼吸を整え再度潜り80cmのクチジロをゲット。これまでの最大は150kgのハタなのだとか。
参考サイト:所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!
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