真珠取り

ヨーロッパでもアジアでも真珠は貴重で養殖真珠が出回るまではダイヤモンドより高価であり、真珠を求めて多くのダイバーが素潜りで真珠を採取する為に海に潜っていた。

  1. 天然真珠の主な産地

天然真珠は世界の至る所で発見された。おそらく昔の人々が海や川、あるいは湖で食用に貝を採取した際偶然発見されたのが始まりであろう。やがて天然真珠は組織的に採取されるようになった。

2.バーレーンの真珠採取業

一説には紀元前2000年頃にまで遡るとも言われるバーレーン古来の基幹的地場産業であった。石油発見以前のペルシア湾一帯は天然真珠の一大産地となっており、わけてもバーレーン近海の真珠は高品質と評価されていた。しかし、日本の真珠養殖業の発展や世界恐慌の影響によって壊滅的な打撃を受け、1930年代以降、急速に衰退していった。

1930年には約30000人の潜水夫たちがおり、バーレーンが稼ぎ出す富のうち、実に4分の3が真珠によるものだったとも言われる。ただし、その真珠貝から取れる真珠は稀少で、ペルシア湾(より詳細な地域は不明)での記録として、3万5000個の真珠貝の中から商品価値のある真珠は3個だけ(ほかに価値のない真珠が18個)という数字もあったという

採取の中心となる潜水夫は、シーブ(縄の引き上げ役)と対になって潜水を行う。潜水夫は2本の縄とともに潜るが、片方には重石が付いている。潜水夫は重石を利用して効率的に海底にたどり着くと、迅速に作業を始める(重石の付いた縄はこの時点で引きあげられる)。潜水夫は素潜りに近く、半ズボンのようなものを着けただけで、ほかには鼻挟み、真珠貝を引き剥がすナイフ、貝を入れておく網袋(首から提げる)、指先を傷つけないための指袋を携帯しているのみである。ただし、ミノカサゴやクラゲなどの対策として全身を覆う黒い潜水服(リビス)を着用することがあった。

潜水夫は1、2分程度、息が続く限り漁獲を続け、息苦しくなったら残った縄を引っ張り、シーブに対し自分を引きあげるように合図する。この1回の潜水で取れる真珠貝の数は、平均的には8個から12個であったという。

真珠採りに従事する潜水夫の彫像(バーレーン国立博物館)

Pearl Diving Video – Dubai Pearl

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”https://www.youtube.com/embed/TGPH_op_LrQ” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

3.ベネズエラの真珠採取

15世紀のコロンブスは真珠を南米ベネズエラで発見します。ベネズエラはアコヤ真珠の産地でした。

そしてベネズエラにはスペイン人が次々到来し、先住民の真珠を奪っていきました。真珠がなくなると、今度は海からアコヤガイを集めます。スペイン人は潜りません。素潜りが上手なバハマの先住民を拉致してきて、真珠採りを強要します。一日中、海に潜らされて、バハマの先住民は死んでいき、結局、絶滅します。真珠採取によってひとつの民族が死に絶えたというすごい歴史があります。

4.日本の真珠採取:

『魏志倭人伝』にわが国から魏国へ真珠が贈られた記述があります。その数、何と5000個。

真珠は1万個のアコヤガイからひとつかふたつしか採れません。5千個の真珠をうるには、最大5千万個のアコヤガイが必要です。その5千万個のアコヤガイを海に潜って採ってくる大勢の海女がいたと推測されます。

後にマルコ・ポーロは日本の真珠はバラ色で大きく、形もみごと円形であるとほめたたえました、おかげで日本は真珠の国としても知られるようになったのです。

日本の天然真珠の中で最も有名なものは、奈良の正倉院に保存されている宝物真珠でしょう。その数実に4158個もあります。

真珠の国ニッポンでも、とりわけ志摩は優良な真珠の産地でした。

Pearl Divers of Japan, from “Women of the World”

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”https://www.youtube.com/embed/fDNsHA-HUqc” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

参考サイト:CGL通信 vol14 「真珠講座1『天然真珠』

      バーレーンの真珠採取法

     視点・論点 「知られざる真珠王国 日本」

スポンサーリンク
広告
スポンサーリンク
広告