日本のダイビングの歴史

日本のダイビングの歴史

  • 紀元前3500年 

    日本最古の真珠は鳥浜貝塚(福井県三方郡三方町)から出土した真珠で約 5500 年前の縄文時代前期のもので、直径 17-15mm 厚さ 12mm の半円球形で「縄文人が装飾品として用いた」と推測されています。よって潜水して採取していたと思われます。

    参考サイト:<購入者の側に立った真珠入門>

    • 3世紀(約300年)

    人間が息をこらえて潜水する「素潜り」は、日本でも古代から行われており、その技術は「海女」に受け継がれ現在に至っています。歴史的には西暦285年に書かれた「魏志倭人伝」に海女によるサンゴや魚介類の採取が紹介されています。

    参考サイト:ミキモト真珠島

    • 1857年

    長崎の大船修復場で潜水ベル(泳気鐘)が使われる

    参考サイト:長崎造船所 史料館

  • 1866年

     増田万吉がイギリスの軍艦『ハラシイ号』の船底修理に従事したのが日本での最初のヘルメット潜水である。

    増田万吉が潜水の興行した際の新聞の広告

    参考サイト:見世物興行年表

    • 1874年

       オーストラリア北方のアラフラ海に日本人ダイバーが多く雇わて、シャツのボタンの材料となる『白蝶貝』をヘルメット潜水で採取していた。

       特に木曜島は多くの日本人ダイバーがいたが潜水病で死亡した方も約700人と多く、現在でも日本式の墓地が残っている。

      画像出典先:オーストラリア「木曜島」へ行く

      • 1877年

    千葉県化安房郡白浜町根本村で増田万吉の指導の下、アワビ取りの潜水漁業が開始され10年後頃には機器も約600台となり

    潜水業者も1000名と増加した。

    参考サイト:

    1884年

    沖縄糸満で潜水眼鏡(ミーカガン)が玉城保太郎よって開発された。

    参考サイト:糸満海人工房・資料館

    • 1899年

      岩手県 種市町でヘルメット潜水開始(南部もぐり)

      種市町の沖合に沈んだ『名護屋丸』の船体を解体、引き揚げするために、三村小太郎ら4名の房州(ぼうしゅう)潜水夫(房州(ぼうしゅう)は現在の千葉)が洋野町にやって来ました。この工事の雑役夫として雇われた地元の青年『磯崎定吉』は、もぐり(潜水)の達人、三村小太郎にその才能を見込まれ、ヘルメット式の潜水技術を伝えられ、『南部もぐり』が誕生しました。

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      参考サイト:南部もぐりについて

    • 1918年

      日本の大串岩雄が大串式ピアレスレスピレーターを開発。ボンベを背負えばスクーバー潜水としても使用できた、ダイバーは、自分の鼻から吸気し、口を噛むことにより空気のオンとオフの切り替える。これを使用し地中海の80m下に沈没した『八坂丸』から片岡弓八らが金貨を引上げたことは有名。

    • 1927年

       片岡弓八が大串式潜水器を使用して地中海水深70mから八坂丸の金塊を引き上げ成功。

      片岡弓八の伝記

    • 1934年 

      浅利熊記が考案したダイヤフラム式潜水器を考案、試作。現在のデマンド・レギュレーターと同じ方式の潜水器。

      • 1887年 丹所春太郎が「ふかし治療」を発表

          自らが潜水夫であった丹所氏が独自の学習と現場聞き込みから潜水時の急浮上禁止と再度潜水して気泡を縮小させる「ふかし治療」と呼ばれる方法を発表。

    参考サイト:潜水夫・丹所春太郎

    参考文献:潜水の歴史 著作者:真野喜洋等

         潜水の世界 著作者:池田知純

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