片岡弓八

長崎県の潜水士 渡辺理一が真珠養殖の為の潜水方式としてヘルメット式より機動性がある全面マスク式を開発し、その後 技術者:大串友治、岩男親子の協力を得て東京に「東京潜水工業株式会社」を設立し、更なる改良の末に大串式潜水器を完成させた。

大串式潜水式とは?

日本においては、1919年(大正8年)大串友治という人が、歯で噛むと空気が出てくる装置(バルブ)を考え出し、そこから出てきた空気をマスクに貯めて、空気を鼻から吸って口から出すという潜水器を作りました。

片岡弓八と大串式潜水式

片岡弓八は1884年【明治17年】5月15日 讃岐 香川県で生まれた。

1907年高等商船学校を卒業後、東洋汽船に入社し欧州、アメリカ航路の天洋丸に乗船し世界の海を駆け巡った。1911年に東洋汽船を退社し1914年からフランスの『帝国丸』の船長として9年間活躍した。

1915年12月21日 『八坂丸』がドイツのUボート潜水艦の魚雷攻撃で金貨10万ポンドと共に沈没。

当時の潜水技術では水深55m潜水が限度であり、『八坂丸』の沈没水深72mは余りにも深すぎて引き揚げて回収する(サルベージ)は諦めるしかなかった。

その後、弓八が大西洋航海を終えて休養している時に旧友の渡辺理一が大串式潜水器を持参して訪れてきたので色々とアドダイスをした。

1917年に大串式潜水器は特許を登録し、実施試験を行うために帆船『豊正丸』にて南洋群島トラック島、サイパン等の試験を実施した。

1921年12月 東京潜水株式会社の重役となっていた片岡弓八にオーストラリア木曜島の寺下氏から大串式潜水器による真珠貝の採取についての相談があった。

1922年4月 長崎から日本郵船『日本丸』に乗船した片岡弓八、ダイバー3名はアラフラ海の木曜島にて試験操業を行い、その優秀さを認められ大串式特許権の契約手付金として500ポンド(5000円)を受け取る。

1925年8月2日  大串潜水器による八坂丸・搭載金貨の回収に成功、金貨9,991枚を引き上げた、しかし6人いたダイバーはすべて潜水病にかかり、ひとりは死亡した。

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